たそがれ怪文書♨

いたたまれない思いの丈を怪文書にしたためます。

ウルトラマンデッカーが信じた未来

TV版ウルトラマンデッカーは見えない未来を信じ続ける作品だった。
戦った先に何があるかはわからない、でも、そうやって生きていく。
それが未来に繋がるし、その願いは届くようになっている。そういう作品だった。

 


そうして「築いた未来が望まない未来」だとしたら?
今回の劇場版はそう問いかける作品だと思う。
僕は円谷が劇場版ウルトラマンR/Bで「平和になった後のヒーローはどうすればいいの?」という途方もない命題に立ち向かったことを知っていたので、この命題に気づいたとき既に頭の中では勝利確定BGM(とエアロビ)が流れていた。

 


スフィアという宇宙の脅威を打ち破ってしまったばかりに、侵略者がやってきたというのが今回のお話。
けれども、そんなことではブレないのがアスミ・カナタという人間。
今目の前にある問題をひとつひとつ解決していく。"俺のやるべきことは変わらない"これが答え。
なんとこの答えを予告編で流している(さっき確認して驚いちゃった)。
望まない未来であっても、それでも未来を信じ続けて先へ進む。
折れない。負けない。挫けない。本物のヒーローの姿がそこにあった。
アスミ・カナタというキャラクターの人間性を極限まで突き詰めた作品が今作だったと思う。

 


一方で、主題の答えの明確さに対して、そこに至るまでの過程はかなり間延びしていた感がある。
TV版で既にカナタと思考を共有し未来に進む邪魔をするな!とスフィアを一蹴したGUTS-SELECTの面々たち(というかイチカリュウモン)。
彼らの決意はそこで固まったはずだが、今作では一度折れてしまった。
ここがヒーローと人間の差異なのではあるが、ここを描く尺に20分くらい使ってたのはちょっと勿体ない。いや結構勿体ない。がんばれ。

 


そして欠かせないのがディナスとダイナの関係。
トリガーとティガが何故似ているかという話はフレンチクルーラー並にふんわりしていたが、
デッカーとダイナが何故似ているかという話はオールドファッション並にしっかりしていた。

 


ウルトラマンデッカーが未来の物語であり、継承の物語でもあることは皆さんご存知ですね(ご存知あるか)。
ダイナが死にかけのディナスを生かすために与えた光が、ラヴィー星人という生物に共鳴する存在と呼応して生まれたのがウルトラマンディナス。
そしてその光を受け継いだのがアスミ・カナタ(今作)のウルトラマンデッカー。
更にその光を受け継いだのがデッカー・アスミのウルトラマンデッカー。
加えてその光を受け継いだのがアスミ・カナタ(TV版)のウルトラマンデッカー。

 

ここまで読んだ皆さんならもうお気づきですね。
そう、今作のウルトラマンデッカーの本名はウルトラマンカナタなんだよ!!!!!!!!

 

 

はい。
そういうことです。
キャッチコピーの"始まりのディナス"とはマジで始まりだったという話。
これに気づいたとき劇場でひっくり返ってオセロになっちゃった(オタクは嘘つき)。
実際今作のデッカーは他のタイプを一切使わなかったし、恐らくこの光は受け継がれていく度に強くなります。
はい。ワン・フォー・オールです(他の作品を出すな)。
僕こういう話大好き。次にこの光を受け継ぐ人がいるなら最高に楽しみです。

 


ここまでストーリーについて語ってきたので特撮についても一応語りましょうか。
超マンネリ。
以上。減点ポイントです。
武居くんは反省するように。がんばれ。お前なら出来る。やってくれ。やってくれないと困るぞ。

 

 

あと雑記

関智一をそういう使い方すると癖になりますよ。隣の東映を見てご覧なさい。ああなったらもう手遅れです。頑張りましょうね。

・ムラホシ隊長とカイザキ副隊長はちょっと添え物感あって残念。頑張りましょうね。

・グレースの再登場は素直に嬉しかった。好きなエピソードだし。でも助けてくれる宇宙人が多勢に無勢すぎませんか?いやあの作品で宇宙人を出すこと自体難しいのでわかりますけど。というわけでこれは頑張りましたねということで。

・トリガーのメンツを宇宙に飛ばしたというのをセリフで説明したぞんざいさ、まさにトリガーを象徴していてそうそう、それでいいんだよと頷いてました。あざす。

 


総評。
勿体ない減点ポイントはあったものの主題に対しては立ち向かい、答えを出した。
良い作品だったと思います。
ここまで怪文書を読んでいただきありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。