総括Ⅰ:令和ライダーへの招待状
見ました。見ましたよ。仮面ライダーギーツ。
一応昔は仮面ライダー派閥の人間としてイキイキしていたんだけども、最近はウルトラマンに浮気しがち。
だって令和ライダー面白くないので……。
というわけで仮面ライダーはジオウぶりの完走です。実に4,5年ぶり?
完走の興奮高じてベルト買っちゃった。ウケますね。
完走の興奮高じてファイナルステージまで申し込んじゃった。ウケますね。
じゃあ始めますか。
令和ライダーって、知ってるかな?令和ライダーというのは
この始まり飽きたか。やめようね!
さて、完走こそできたものの、正直言ってなかなかの問題作だった仮面ライダーギーツ。いや、怪作だったかも。
というわけで仮面ライダーギーツの良かったところ、悪かったところ、語っていこうね。
総括Ⅱ:緊急特番!良かったところの全て
アクション・CG・戦闘演出・ライダーデザイン
ここは抜群に良かった。
最近の仮面ライダーをちゃんと見てないというのもあって、平成より進化したド派手な演出は私の目を引くには多分なほどに鮮烈だった。
あとベルトのギミックが楽しい。回るベルトはいいね。
バックルの付け替えでキャラクターの戦闘方法がガラッと変わるし、リボルブオンの上下反転ギミックは最後の最後まで視覚的な面白さをお届け続けた。
それにブーストバックルがあると戦いに華が出る。SEもいいし、これが切り札だとキャラクター・視聴者ともに共通認識にさせるくらいには演出に強さがあった。
ついでにライダーのデザインもしっかりカッコいい。
最終フォーム見てカッコいい!見たい!となったのは久々。
視聴中一番楽しい部分はここだった。これがなかったら耐えられなかったかも。
監督陣が若い
今回の監督陣は昔ながらの人たちが一切おらず、若手では一番有名(だと勝手に思っている)な上堀内監督をはじめとした若手監督のみで一年を駆け抜けていた。
私はウルトラマンで常々若手監督が育つ土壌が出来つつあって嬉しいと言っているのだが、ライダーはその一歩先を行っていた。
ウルトラマンでは田口清隆や辻本貴則なしに作品を成立させるのは多分まだ厳しいと思うので……。
というわけで若手のみで構成された作品が好評で終わったのは評価ポイントですね。
ちゃんと後進を育てていけるのはやっぱり体力ある会社だと思った。
シナリオが楽しい
もはや仮面ライダーの常連となったゅぅゃ先生。
メインライターとして起用されるのは3作目ということで、井上の御大に迫る勢いを持つライター……なのだが、かなり雑な部分が多いのも確か。そこは悪いところで説明ということで。
シナリオの根幹、プロット自体は間違いなく面白かったと思う。
ライダーが願望をかけて戦うデザイアグランプリ。その運営形態、観客の存在、願望を叶えるシステム、辺りくらいまではかなり丁寧かつ面白く演出しながら進められていた。
が、それらが全て明かされて解決をします!というターンからバグり始めた印象。
具体的にはサブタイトルが創世:になってからはヤバかった。
とはいえライブ感という仮面ライダーを構成する上で大切な要素でガンガン進んで行ったので何とか煙に巻いていた。
キツネは化かすものだからね。俺は仮面ライダー♨、その言葉をお前は信じるか?
主題歌・挿入歌・BGMが盛り上がる
ここは演出の一種だと思うけど一応。
主題歌は倖田來未と、鎧武からの再登用の湘南乃風というめっちゃオラついた組み合わせ。
若い作品というだけあってそのオラオラ感はかなり作品に合っていたと思う。作詞は藤林聖子だから脇を固めるのも一流。
挿入歌として流れても盛り上がるし、ギーツⅨ初戦闘のときの一瞬静かになる演出はカッコよすぎてゴーオンブラックになった(オタクは嘘つき)
挿入歌はほとんど流れなかったが後半にいきなり入ってきた。スタッフがノッたんだろうか。歌手はBACK-ONだしカッコよさは折り紙つき。
BGMも印象に残るものが多い。英寿がすごいことする時のBGM、キャッチの時のBGMなんかはすぐ思い出せる。
作曲者はウルトラマンガイアで有名な佐橋俊彦だし必然だったのかな。
総括Ⅲ:悪かったところ★フィーバー
ツッコミどころの多さがヤバい
平成以降のライダーにおいてツッコミどころの多さというのは作品の華のようなもの。
ツッコミできればできるほど面白かったりするのだが、それにしたってツッコミどころが多すぎる!
主人公の栄寿はスターであるがなぜか街中を歩いていても素通りされ、その前を歩いているインフルエンサーの祢音は注目されている。みたいな小さなバカから、ベロバはプレミアムカードを持っているから危険だ、という話をした10分後にベロバがプレミアムカードを使わないまま死ぬ。みたいなクソバカまで多種多様。
だがそんなのは可愛いもの。
シナリオにツッコミどころが出てくるのでもう滅茶苦茶。
創世の力を持った者は意思を失うという設定を作っておきながら誰も意思を失っていなかったり、景和の姉を復活させる万能フラスコで景和が闇落ちから帰ってきたり(自分だけ良ければそれでいいのか?と序盤に釘刺しているのだが……)、最終回に今までのしわ寄せを全部背負わせたりする。最終回についてはヤバすぎるのでのちほど。
創世の女神の石像並にボロボロなシナリオなのだが、ライブ感と演出でなんとかしていた。
それで楽しく見られてしまう自分が悔しい。ムカつく~~~~~~!!!
栄寿の存在がヤバい
栄寿がほぼほぼ舞台装置で人間として愛すことが出来ない。
主人公を愛せなければ楽しめないタイプの人には厳しい作品だったかもしれない。
舞台装置であるため他のキャラクターから見れば何か強くて頼りになるけどよくわからない存在くらいの人間であり、これが終盤の展開に響いてくる。
他のキャラクターが栄寿と絆を結んで信じろと言われて信じるくらいには英寿のことを信頼している、という描写が入るのだが別にそんなに栄寿と関わってないだろお前ら。
ついでに栄寿は常にキザでクールで余裕な状態を保っているため、役者が成長できない。役者の成長を見守るのもライダーの醍醐味であるが、泣く演技が圧倒的にド下手な主人公の役者を見て俺が泣きたくなった。
そして栄寿というキャラクター自体も絶望的に造形が下手。
というのも彼は2000年もの間、輪廻転生を繰り返しデザイアグランプリに参加し続けた経歴を持つ。つまり2000歳なのだがそのくせ人間としての深みは一切ない。マジで思考が五十鈴大智に劣る。
今回の時代のデザグラで色々動くわけだが、2000年もやっていてお前たちエースは一度もデザグラを揺るがさなかったのか。
特にデザ神になった際に4回『俺が世界を守ると覚悟を決めた時、それを実現できる力を得る』という願いを叶えているのだが、エースたちの目的は母親との再会であり、何を想定してそんな願いを書いたのか意味がわからんぞ!
でも演出が熱いし楽しい。これで楽しめてしまう自分にムカつく~~~~!!!!
最終回がヤバい
もうヤバすぎるのであらすじ書きます(手を抜くな)。
白ツムリと一心同体だった黒ツムリ(そんな描写はなかった)が英寿を撃って殺害。
が、殺害された英寿は肉体を失って神になった(なんで?)。
神になった英寿は幸せの上限値を取っ払って願えば全てが叶う世界に変更(どうやって?)
ていうかデザ神という単語からして神がいることは明らかな世界だと思うんだけど元の神は何をしていたんですかね(おしえて)。
ついでに四次元ゲートが閉じて未来人が消去されるのだが黒ツムリも消える(一心同体の白ツムリが消えないのなんで?)。
そして未来に帰っていったはずのジーンやキューンが英寿の世界にいる(なんで?)
ジーンはデザイアグランプリの再開が企画されていると言うが願えば叶うことが確定している世界にオーディエンスが集まるんですかね(おしえて)。
極めつけはメインキャラクターたちの新しい願いが開示されるのだが、そもそもの願いがなくなった道長はなぜか食いしん坊キャラになった。もうわけわかんないよ~~~~!
……と、最終回だけでツッコミどころが山ほど出てくる。見ていて面白かった。
雰囲気だけはよかったのでハリボテ作品ということがさらに補強されてしまった。
これ見てオタクは騙されるんだからチョロいもんですな!ムカつく~~~~~~!!!!
メインライダー達がヤバい
この作品のメインライダーは4人いる。ギーツ、タイクーン、ナーゴ、バッファである。
ギーツのヤバさについては先に語ったが、ほかのライダー達のキャラクター造形もまあまあヤバい。
タイクーンこと桜井景和は就活中の大学生であるが、世界平和を漠然と願う平凡な人間である。あった。
デザイアグランプリに偶然参加したことで、この戦いに身を投じる者が命を落としていることを知り、願いをデザイアグランプリで死んだ人間が生き返った世界に変更する。
一瞬で願いを変更する程度に空っぽのキャラクターなので、周りの人間に騙されて痛い目を見る役どころとして30話くらいを過ごすことになる。
ここまでは普通のキャラクターの範疇であるが、創世の女神関連の話が明らかになると造形がバグり始める。
いきなり「これまでのことを創世の女神に償わせる!」などと意味不明なことを言い出すのだ。創世の女神に意思がないことを知ってるのに。なんで?
そして女神がいなくなると、見返りがなくても人を助けることを選択するも、姉が死んだので秒で闇落ちする。
が、姉が生き返ったので秒で戻ってくる。なんなんだよお前はよ。
そして最終話では願いを世界平和に戻し、そのために勉強している姿が映される。
つまり回りまわって最初の願いに帰ってきた形だが、そのためには無駄なステップが多すぎてツッコミが追い付かなかった。やるね。
ナーゴこと鞍馬祢音は財閥の令嬢かつインフルエンサーで、願いは本当の愛を手に入れること。
景和と同じく偶然デザイアグランプリに参加し、死の恐怖に直面するも、願いは変えない結構芯の通ったキャラクターだった。
物語の途中で過去のデザ神である父親によって作られた創世の女神製人間であることが判明するが、サポーターのキューンの助けによって立ち直る。
ちなみにこのキューンは基本的にこの時以外は役立たずだし、何なら別れも告げずに未来に帰る。ナメとんのか。
終盤で親から目いっぱい愛されていることを知り、本当の愛を既に受け取っていることを自覚するが、最終話ではなぜか次の愛を求める願いを書いており、キューンとイチャコラしてた。退化しとるやんけ。
そしてバッファこと吾妻道長は普段は建設作業員だが、友人がデザイアグランプリに参加し死亡した瞬間を見たことで仮面ライダーを全て倒すことを決意するヴィラン寄りのライダー。
粗暴ではあるが、実はライダーになったことで死亡する人間を少しでも減らそうとしてライダーを倒す力を手に入れたいという願いを叶えようとする真っ直ぐな青年として最終的に描かれた。
ちなみに作劇の中盤で半分怪物のジャマトになるが、気がついたら治ってた。特に説明とかはなかった。ナメるな。
描き方としては他の二人と比べるとかなりマシ……なように見えたが、最終話では最初の願いをなくしたので『うまい肉を食う』という劇中で全く語られなかった願いに変更させられた。
願いをなくした人間はアイデンティティを確立できない厳しい世界、それが仮面ライダーギーツの世界なのだ。
でも正直幸せにみんな生きている大団円は気持ちよかったのがまた、ムカつく~~~!!!!!!
総括Ⅳ:オタクの特権・想像ゲーム♡
ボロクソに書きすぎるのもアレなのでゅぅゃ先生の頭の中を想像してみようと思う。
栄寿はなぜ神になったのか
創世の力を持つ英寿の母を殺害し、石像に閉じ込めることで現在のデザイアグランプリの運営母体の根幹を作り上げた未来人。
思うに、創世の力はそれを持つ者が死亡すると概念上の存在となるため、それを物理的に閉じ込めることで未来人は創世の力を自由に行使することが出来るようになったのではないか。
栄寿は創世の力の断片を母から受け継ぎ、なおかつ栄寿と家族になることで創世の力に目覚めたツムリからもその力を奪うことで真に創世の力を得るに至った。
が、創世の力を持つ者はその意思を失うという後付け(小声)設定により自身もその代償を受けることになり、未来人に利用されるという母と同じ結末を迎えるかと思われた。
が、なんかよくわからない意思の力(これをライブ感と人は呼ぶ)で抗い、創世の力を持ちながらも人間としての意思を持つという特異点となった。
ラスボスのスエルはもうどうしようもないのでそれを殺してみるのだが、殺してしまったことで栄寿は概念として解き放たれてしまい、創世の力を真に行使できる神として成った。
というのが私の想像。ゅぅゃ先生はどう考えているのか気になることである。
未来人は未来人なのか
デザイアグランプリのオーディエンスは遥か未来の人間である。
彼らは自身の想像通りに容姿や人間的機能をデザインでき、寿命すら存在しない。
というのがお題目。
だが、デザイアグランプリは過去を変えてしまうゲームであるため、バタフライエフェクトの発生は避けられないのではないか。
つまり、過去を変えても未来が変わらない仕組みがなければこの方式は成り立たない。
さらに、グランドエンドというデザイアグランプリ終了の合図でジーンやキューンは未来に帰っていったが、その後のデザイアロワイヤルにもオーディエンスは存在した。
全戦に栄寿が関わるデザグラなど、栄寿強火信者のジーンが見に来ないはずがない。
それにも関わらずジーンは最終話まで登場しなかった。
ここから私が導き出したのは、未来人は未来の異世界からやってきた人間ではないかという説である。
そうなれば、栄寿の世界の過去が変わろうと問題はないし、デザイアロワイヤルはジーンやキューンとは別世界の人間が招待されていて彼らは知らなかったといった理屈をつけられる。
さらに、最終話に登場したのも別世界から栄寿が連れてきたことにすれば説明がつく。
というわけで未来人は異世界人。ということで納得することにした。
幸せの総量とは何だったのか
最終話にて取り払われた幸せの総量という概念。
デザイアグランプリはその犠牲者の不幸と引換に、余った幸せをデザイアグランプリの勝者に還元し願いを叶えるというシステムだった。
だが、劇中には運営権限で勝者でないにも関わらず願いを叶えたキャラクターが何人か存在する。
景和もその一人だが、この手法を使ったことで幸せの総量の概念に引っ掛かり、その身に不幸を浴びてしまう。
しかし、ベロバとケケラはその後何も問題なく願いが通っていた。というかケケラなんかは幸せの総量について話して景和に説教までしていた。
なんなんだよこのルール。
流石にこの破綻に対して持ち合わせる理論がないので、無理に考えることにする。
幸せの総量という概念はデザグラ参加者ないしはその時代の仮面ライダーに成り得る存在にのみ課されるルールであり、反した者を罰するためにある。ということにする。
そして、そのルールは栄寿の創世の力によって廃止された。という見方である。
そもそももって、こんな作劇上あとで絶対困るルールは作っちゃダメだよというゅぅゃ先生の反面教師なのかもしれない。
総括F:仮面ライダーギーツのルール
頭を空っぽにして見なければならない作品である。
Ace with us
この物語はフィクションです。