たそがれ怪文書♨

いたたまれない思いの丈を怪文書にしたためます。

エヴァンゲリオン、勇気の器

はい。観ました。エヴァンゲリオンシリーズ。

オタクとして生を受けたくせに何だかんだ理由をつけて観ないこと29年。

ようやく国民IDを手に入れた気分です。

俺もうは非国民じゃない!!やったー!!

それでは人非人扱いされなくなっただけでようやくオタクとしてスタート地点に立った赤ちゃんがエヴァについてブツブツ語ろうと思います。

もうエヴァを観た人向けの記事なんで観てない人とかこれから観るよって人には向かないです。

付け加えておくと当アカウントはアスカ派です。よしなに。

 

 

TV本編を観た。

お、お、お、おもしれぇ~~~~~~~~~~~~~

こんな面白い作品を20年以上避けてたってマジ?

あんたバカァ?馬鹿です。

あのね、観る前はど~せちょこざいなオタクが大好きな考察丸投げ作品っしょwくらいの気持ちでした。

ゴメンナサイネ(10年前のセンター試験

いや、半分は合ってるんですけどね(要出典)

ロボ(エヴァンゲリオンはロボじゃねーんだよ馬鹿)と使徒のバトル、少年少女たちの群像劇としての描き方、精一杯な大人たち、何もかもが生き生きしていた。

全てを描こうと必死で、クリエイターとしての全力疾走を描いていた。

そしてこの作品を観ていく過程で世に名を轟かせる名探偵♨は気づいてしまった。

ハッハ~~~~~ン、碇シンジ、お前庵野秀明だろ!

そう、碇シンジ庵野秀明の分身である(要出典)

そう考えると色々と合点が行く。

碇シンジはクッソ情けなく、卑怯で、人間として尊敬出来ないカスみたいなヤツであるが、ここ一番では頑張ろうと努力するどうも嫌いになりきれないキャラだった。

でももしこれを自分自身だと仮定して描いていたなら?

そりゃもうとんでもない勇気だと思うよ。

自分を曝け出しながら、剥き出しの自分と向き合って作品を描いていく。

そりゃ消耗もする。鬱にもなる。よく頑張ったと思う。

でも頑張りすぎたんだよね、最後の最後でガス欠を起こしてしまった。

自分と向き合った結果、エヴァの世界をどう決めるかということについて答えを出しきれなかった、と思う。

で、あのラストをお出しした。

既に完結している作品だということを知らなかったら僕だっては?ってなるし色々考える。当時のオタク文献を眺めてはオタクっていろんなこと考えるんだなぁと思った。

少なくとも今のオタクよりだいぶリキ入っててちょっと怖かったです。

今後の作品では、エヴァの"最後"と向き合って行くことになるのだが、それを出すのに20年かかるのだから、安易に自分を主人公にするのはやめようね。ということ。

 

旧劇場版を観た。

えらい!まずこの感想に辿り着いた。

かなりの苦渋の選択とはいえ、エヴァへの答えを出した。

エヴァンゲリオンという作品の終わりを作った。

これはえらいよ、勇気がある決断他ならない。ビッグネームになりすぎた作品をどうやって切るかを数年で作り出した。えらすぎ。

でもきっと納得出来なかったんだろうな。

または理解のない人たちに叩かれまくったんだろうな。

だって新劇場版があるってそういうことじゃん。

実際のところ、あのエンドは難解だ。

僕だって最初観た時ん?となった。頭を捻った。頭なくなっちゃった。

Kenshiの第二帝国スケルトンか!(伝われ)

『気持ち悪い』というのは、あの状況になっても人に愛を求め、救いを求め、実際に与えられると大人しくなってしまう庵野秀明に対する侮蔑であり、自分を殺そうとしている人間にコイツに殺されるなら良いかと考えているアスカ自身に対する嫌悪であると僕は捉えた。

ていうかこれを正確無比に100点の回答出すの無理だろ。無理だから新劇場版が作られたんだろ。

ハイ、やめやめ!次行きますよ次!

とりあえずこの時点では庵野秀明、勇気のある男だ……(後方カヲルヅラ)してた。

 

新劇場版(序~Q)を観た。

さて、思い悩んだ庵野が鬱になりながら作った新劇場版。

序は名前の通り本当に静かなスタートで始まった。

基本的にはTV本編をなぞっているし、ヤシマ作戦の熱量はそのままだ。アツいもんはアツい。ザブングルは男の子!

そして破!ここで世界がガラッと変わる。

よく知らねぇ乳のデカい良い女がいるし、アスカの名前は変わってるし、レイは味噌汁飲んでる。

実際のところ、水筒に入れる味噌汁にあんなに豆腐入れる?俺ダルいから入れねぇっつーかそもそも水筒に味噌汁入れねぇ。庵野、お前とはこれまでだ。

はい。

とにかく今までから刷新してやろう、視聴者を驚かせてやろうというギミックに満ちた作品だった。

新しいエヴァが動き出した、間違いなくその息吹を感じた。

次回予告もワクワクもんでウキウキしながら次を再生したもんね。

で、Q。これ初見で言語化出来る奴天才だろ。もしくは庵野秀明

あのね、次回予告で詐欺すんのやめな~。ディケイドじゃないんだから。

庵野の頭の中に存在する構想と向き合うしかなかったが、突然戦闘が始まって~14年経ってて~ってお前序破急っつったって急が過ぎるわ!

あっ、Qって視聴者が頭クエスチョンになるからQってことすか?

この作品相手にシン公開まで10年弱考察続けたエヴァのファンマジ?忍耐力強すぎだろ……。

幸いにも僕は2023年にエヴァンゲリオン道場に入門したクソザコ一般成人男性だったので耐えられた。長男じゃなかったら耐えられなかったかもしれない。

こうして一抹(市松だけに)の不安を抱えつつ、僕はシン・エヴァンゲリオン劇場版に臨むのであった。サービスサービス。

 

シン・エヴァンゲリオン劇場版を観た。

う、うおお……

圧倒されてしまった。

2時間半があっという間でウケるね。ウケてる場合か。

エヴァQでなんであんなことになったのか大体わかった。

まずストーリー展開が面白い。

今までのエヴァでつまらんことあったか?

……。

まずストーリー展開が面白い。

王道を走ったり、横道に逸れたり、レイが味噌汁飲んだりする。引っ張んな。

僕は蒼穹のファフナーという作品が好きなんだけど、これって元々はエヴァのフォロワー作品でそっから独自に派生して完結を迎えた作品なのね。

これと差別化する上で一番の要素が大人の在り方だと説明してたんだけど、『シン』の大人はちゃんと大人してた。今までは生きるのに精一杯だったけど、反省しながら生きて子供に接していた。

大人になるってえらい。でも僕は精一杯なあなた達も好きだったよ。

そしてまたファフナーの話に戻って大変恐縮なんですけども、この作品の最も好きなところは群像劇の日常シーンでして、それと近い雰囲気でレイがヒトを学んでいくのが実にオタクスマイル。

中盤の戦闘シーン集は実は既にCGロボに目が肥えてる僕は割と退屈しちゃった(ぶっちゃけ大納言)

でもこの作品としてはバトルがメインではなく、叙情的な部分がメインなので問題なし。大丈夫です。

そして喋りたくて仕方ないラストシーン。

庵野秀明は自分が生み出したキャラクター=自分の鏡と世界を巡りながら対話する。

ついに庵野秀明が結論を出す。全てのエヴァンゲリオンを、消す!

宣言しやがった。えらすぎるぞ、100万♨ポイント。

さりとて20年以上続いたエヴァ庵野にとってはライフワークであり、人生そのもの。

故にエヴァがいなくなった世界に一人取り残され線画になって消えていく庵野

そこで助けに来るのがマリ!そうマリ!

マリはエヴァンゲリオンひいては庵野秀明が作ってきた作品を愛する者の集合的無意識だったんだよ!!(要出典)

庵野を愛する者が庵野はまだ世界にいていいと肯定する。世界に色がつく。

それを自分で描くって小っ恥ずかしいし、やっぱ勇気ある男だよ庵野秀明

で、エヴァが消えた世界。庵野は年を取っている。

もう14歳である必要がないから。エヴァに乗る必要がないから。

まだ14歳のエヴァの登場人物が電車に消えるのを眺めていると、後ろから声が。

そうマリ!庵野を愛する者!

マリは庵野の首輪を外すことで本当にエヴァの鎖が消えたことを暗示する。

そして庵野からマリの手を引っ張って実写の世界=現実の世界へと走っていく。

なんて清々しいエンドだ。

これを劇場で観なかったことを実に後悔しています今。

オタクたちなんでエヴァンゲリオン面白いって教えてくれなかったの。

エヴァはなくなり、庵野庵野を愛する者達と共に現実世界へ駆け出した。

エヴァンゲリオンが、終わった。

付き合って2ヶ月の僕がこの喪失感なら20年追ってきたオタク達の感情やいかに。考えるだけで大変なことだよ。

なんて考えてる間にエンドロールの曲が変わる。

Beautiful Worldに変わる!マジ!?

この曲は序・破の主題歌であり、エヴァの世界は色々あるけど美しいよね、と謳う曲だと思っていた。理解が浅かった。浅瀬。

ここで流されたらエヴァの世界は美しい、さりとて現実の世界も美しいという意味だと捉えるしかないじゃん。

よくよく考えたらマリにはなれなかった=エヴァと合わなかった人もいるわけで、そんな人に対してもこの曲をぶつけるのであれば、『俺は美しいと思ってんだよ!』と喧嘩を売ってるようなもので、マジで勇気ある男だな庵野秀明

後方カヲルヅラが止まらねぇ、止まらねぇよ。

 

総論

父に、ありがとう

母に、さようなら

 

そして、全ての子供達に

おめでとう

 

                                   終劇